日々の潜水・撮影活動の中でキラリと光ったシーンをまとめてみました
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悲しくて仕方がない
 梅澤さん、梅澤さんと初めて会ったのは、今から36年前でした。当時、自宅のお米屋さんの精米機裏の空いたスペースにコンプレッサーやタンクを置いて、アマチュアのダイビングクラブを引き継いで軌道に乗せた頃でしたね。ウナギの寝床と呼んでいたその狭いスペースに、週末となると夜な夜な八王子近辺から怪しげな面々が集まって、今度どこの海に潜ろうか、何をしようか、先週行った海では珍しい魚がいたぞ、そんな話を薄いコーヒーをすすりながら明け方まで話し合いながら過ごしていました。

 そんなクラブに当時学生だった自分も混ぜて頂いたのですが、その頃から、クラブの会長としてみんなをまとめ、話題の中心でみんなを盛り上げてくれたのが、梅澤さんでした。そこには純粋にダイビングが好きな者同士が集まって夢を語り合う、理想の空間が広がっていました。そしてその輪の中心で、誰よりも熱く夢を語り続けたのが、まさに梅澤さんだったことは、当時から現在にかけて梅澤さんと関わった全ての人がみんな納得するところだと思います。

 そして梅澤さんが凄いのはその実行力でした。夢に向かって全力でアタック。時には難しい相手の懐に飛び込んで、いつの間にか敵を味方に変えてしまう。そんな様子をこの36年間、傍らでずっと見続けてきましたが、それはまさに梅澤マジック。決して奢らず、決して諦めず、深刻な問題もぱっと笑いに変えてしまう。そんな人柄に惚れ込んで、いつも梅澤さんの周りには人の輪が絶えませんでしたね。

 そして梅澤さんが惚れ込んだ特別な海、それが西伊豆の大瀬崎でした。当時まだダイビングショップなどは何もなく、我々は八王子のウナギの寝床で充填したタンクを米配達用のエルフに積んで、毎回ダイビングに出かけてました。そんな黎明期にダイバーと漁業関係者と地元民宿の間に立ち、なんとかこの地がダイビングポイントとして根付くよう困難な調整を買って出たのが梅澤さんでした。その一つの例が、今年で22回目になるカレンダーフォトコンテストです。このイベントの立案者であり初代実行委員長でもあった梅澤さんは、海底清掃活動をとおしてダイバーが地元に貢献する姿勢を明確に示して、これが現在まで続いています。梅澤さんが目を掛けた多くの若者たちが、アマチュアのダイバーとして、プロのショップ責任者として、各方面で活躍しています。

 亡くなった翌日、お悔やみに訪れたご自宅の奥様の横で、あんなに賑やかだった梅澤さんが静かに横たわるのを見たとき、初めて胸を締め付けられるような実感が押し寄せてきました。でも、次の瞬間、「大塚君、今年はウミヒルモの花は咲いたかな。今度、いろんな場所を調査してみるべぇよ。」と八王子弁で語りかけてくる声が心に聞こえました。

 梅澤さん、梅澤さんって気軽にこれまで呼んできましたけど、自分とは一回り齢がはなれているんですよね。大先輩に対してこんなに気軽にお名前を呼ばせて頂いてすみません。でも、今、あえて大きな声で呼ばせて頂きたい。

 梅澤さん、梅澤さん、梅澤さん、梅澤さん、 俺は悲しくて仕方がない。

 安らかにお眠りください。
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